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執筆者の写真佐々木敏光

気持ちをはめ込む・一般クラスの表現

 教室歴1年工藤さんの作品が出来上がりました。湧き出るアイデアと描きたい対象物、それを噛みくだき作品にすることが造形であるならば、残念ながらまだまだと言わざるをえません。しかしながら尖った絵を描けなくなってきた還暦前の講師からすると羨ましく、年を取ったことを実感し考えさせられます。

 鏡の中と外の世界を対比させた作品。前述した通り造形としてはもっと磨いてほしいですが表現としては興味深くこれからを感じさせます。

 

アクリル画の表現
工藤さんの作品

 趣味で絵を始めた場合、指導者の下で基礎(そもそも基礎とは何?教室見学の方々の言葉から芸大や美大で学ぶようなことを指していたり、やれば上手になれるイメージのようですが・・)を学んだとしても実際はその指導者よりも上手に描けるようになることはほとんどありません。(まぁ、さわりだけでもとか、ちょっとその気になりたいというならばできると思います)ほとんどがやったことがある程度で終わります。

 

 [絵の中に気持ちをはめ込み描き手の描きたいものを描いてほしい]というのが私の考えです。教室を始めて29年たち、その間には描きたくても描けなくなった生徒が何人もいました。後悔しないように描きたいものを[今]描いてほしい、描きたいものがないなら探してほしい、技術などは表現したいものがあれば後からついてきます。そしてデッサン力や色彩学が必要だと思った時、それらをおこなえば身につく可能性も高くなります。


 ある絵画サークルの絵で裸婦の油絵が数点展示されていました。お世辞にも鑑賞できるレベルではなく、無駄に大きい裸の絵ですからお家に飾るのも厳しいと思います。しかしながらその中の一点に描く事が楽しいという生き生きとした感情が伝わってくる絵がありました。その絵に私の気持ちが反応したという事だと思います。正直このような絵は短命で、おそらく展示が終われば押し入れ行きになると思いますが誰にも見向きもされない絵もある中それは幸せな絵だと思います。


 そして私を含め絵画の歴史に残らない者はいつか押し入れの絵を処分する時が必ずきます。描き手がしなくても誰かがします。

 好きなものを描けば、同じようにその描いたものが好きで心動かされる人がいるかもしれません。   目の中に入れても痛くないお孫さんを描けば、お孫さんの下でその絵は描き手の思いをたずさえて共に残っていくかもしれません。

 いずれにしても絵に思いを入れ込み、それに反応する他者がいればその絵に命が宿り、描かれた意味が出てくるのではないかと講師は勝手に思っています。意味を求めて絵を描いているわけではないと言われそうですが望もうが、なかろうが意味を持たされてしまうのです。人はそんな厄介な生き物なのです。


 意味も何も持たない絵を制作することも可能かもしれませんが、しかしそれ自体も意味になってしまう事になり結局、押し入れから処分の道を進みます。ならば気持ちをはめ込んだ絵を描いてほしいのです。

 諸事情でいったん絵を離れることになった工藤さんですが、また絵筆を握る事を期待しています。


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